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  • 孤独は本当にさみしいのか?

    【自己紹介】
    中村久美恵 2011年BBSH卒業、BHSプラクティショナー。会社員を経て、宇宙と自然と動物を愛するエネルギーヒーラーへ。オンラインでエネルギーヒーリング、カウンセリングを提供中。

    ーーーーー
    本当はヒーラーになりたいあなたを助けるエネルギーヒーラー、中村久美恵です。ヒーラーになるのに今の職業は関係ありません^^ 
    日中の気温が20度前後になって、やっと秋らしい、というか朝晩は寒い季節になりました。
    ^^
    タクシーの運転手さんと話しましたが、「最近は夏の後に冬が来るようで、」秋がなくなってきている、という意見で一致しました。緑を増やしていかんと!と言っておられました。本当にそうだなあ、と思います。

    今月は、愛猫が2匹、天国へ行きました。
    (T‗T)
    旭(あきら)くんと、まる子です。
    二人とも、大事な大事なことを教えてくれました。
    たくさんの人が、当然だと感じること。
    それさえ「思い込み」で、手放せることなんだ、と教えてくれました。
    あきちゃんは体重が8kgもあって、抱っこすると腰がミシミシッ・・・と来るほど重かった男の子です。初めて迎えた発情期には兄弟のオス猫たちが震え上がるほどの迫力でした。
    去勢手術をしてからはおとなしくなり、実はとっても怖がりだった、ということがわかりました。見た目とのギャップが大きかったです。
    風邪をひいてからは、独りでいることが増えました。
    ><;
    猫は具合が悪くなると、親兄弟から離れて、一人で過ごすことを好みます。私に触られたくないと隠れるあきちゃんを、そっとしておいてあげよう、と見守り続けていました。
    ある日、あきちゃんがどうしても外にでる、というので「よし、こうなったら、うん、好きにしたらいいよ。」とお庭に出してあげました。たぶん、最期かな、という予感がしていたのですが、それが本当に最期でした。
    まる子は、あきちゃんの姪っ子になります。
    あきちゃんの妹(春美ちゃん)が生んだ4匹の、長女でした。
    出産に立ち会いましたが、春美ちゃんはパニックになって「なんか、おちりから出てきたぁ~~!」と大騒ぎしました。畳にポトンと黒いまる子が落ちて私がビックリ!
    (゚Д゚;)
    あわてて救い上げて、温めたのを覚えています。
    @@;
    まる子はあきちゃんに輪をかけた怖がりで、家の中にいるのに野良猫みたいに触らせてくれませんでした。妹や弟がみな先に天国へ行ってしまったので、同じ年の遊び相手はいませんでした。
    白血病を発症して、具合が悪くなってからやっと、触れるようになり、
    「まる子ぉ、病気しなければ、こうやってまる子に触れなかったよ。お世話させてくれてありがとう。」
    と言うと、あきらめたような表情で「にゃ~~」と小さく鳴きました。
    まる子はあきちゃんにとてもなついていたので、あきちゃんがいなくなってから、大丈夫かな?とよくお声がけしていたのですが、本当に残念です。

    さて、私が今回、2匹から学んだことは、
    「孤独とは豊かなものだ」
    ということでした。
    え?と思いませんか?
    孤独、と聞くと孤独死という言葉に代表されるように、さみしいとか、つらいとか、助けが来ないとか、ネガティブなイメージがありますよね。
    でも、あきちゃんもまる子も、「すすんで孤独になりたがった」んです。
    そのほうが「心の安らぎを得られる」から。
    誰でも、友達や家族と過ごす楽しい時間は好きです。でも、同時に、一人の静かな時間も必要ですよね?
    誰にも邪魔されない時間。
    ゆったりと、好きなことをする時間。
    ホッとしてリラックスする時間。
    ぼーっとできる時間。
    気分をリフレッシュする時間。
    インスピレーションが生まれる時間。
    これらは「大人として過ごす一人の大切な時間」です。
    ということは、「一人はさみしい」という考えの元にあるのは「一人では必要なものが得られない」という子どもの意識です。
    あきちゃんとまる子は、大人でした。
    独りはさみしいどころか、独りになってホッとしたい。
    だから、心配しないで、触らないで、独りにして。
    何もしないというのは、具合の悪い家族を前にすると、とても難しいことです。
    (うちでは犬も猫も家族と同様の扱いなので)
    ついつい、構いたくなってしまいますよね。
    ><;
    それに、肉体を離れようとしている犬や猫に対して、
    「必ず最期まで一緒にいて看取る」のが私の「理想」「信念」でした。
    いつ急変しても、独りにはしないように。
    一人で逝くのは「さみしいだろうから」、一人では逝かせない・・・
    それが飼い主として最善だと思っていました。
    でも、本当にさみしいと感じているのは、誰だったんでしょう?
    今回の2匹は、どうしても、どうしても、孤独になりたがりました。
    触られるのを嫌がり、私から離れようとしました。
    そのおかげで、「あっ!」と心の底から気づきました。
    「孤独は、さみしくないんだ。むしろ、豊かさなんだ。」
    文字にすると伝わりにくいかもしれませんが、感覚としては、一瞬ですべてが変わったかのような「目覚め」、腑に落ちてわかった、あるいは目からうろこ、っていう感覚でした。
    つまり、一緒にいて満足するのは誰なの?ということです。
    そう、それは・・・猫ではなく、私。
    自分が満足するために、自分が安心するために、自分が後悔しないために、そばにいることを選んでいたんです。自分にとってはそれが「正しいこと」だったんですよね、相手が「望むこと」ではなくて。
    ということは・・・
    私が目を離しているときに亡くなってもいい。
    だから、例えば、私は彼らの最期の時に、お皿を洗っててもいい。
    洗濯物を干しててもいい。
    なでてあげられなくてもいい。
    涙声で話しかけるのではなく、普段のように声をかけてもいい。
    今まで「ダメだ」と思っていたことは、全部OKなんだ・・・。
    ちょっと、というか、かなりショックでした。
    ><;
    いつ亡くなるのかは、私にはわからない。
    いつ亡くなるのかは、変えられない。
    変える必要もない。
    飼い主の目が届かないところで亡くなってもいい。
    本人たちが望むのなら、それが最善なんだ。
    最期を見届けられないことを、悲しまなくていい。
    悲しくてもいいけど、悲しいものではないんだ。
    こうやって、私の「孤独はさみしい」という思い込みは、変わりました。
    あきちゃんとまる子のおかげです。
    亡くなった人や動物は、
    ・病気から自由になれる。
    ・犬ならリードなしにどこにでも行ける。
    ・猫なら外を好きに歩いても怒られない。
    ・あきちゃんやまる子のように怖がりだったなら、もう何も怖がらなくていい。
    ・無事に今回の人生を終えられた。
    ・学びたいと決めてきたことを学び終わった。
    ああ、バシャールが言うように、これは「おめでとう」と言うべきことなんだ、(彼らは誰かが亡くなると「おめでとう!」と祝福するそうです)とやっと腑に落ちました。最初に聞いたときは「言ってることはわかるけど・・・」くらいだったのです。
    あきちゃんとまる子は、兄弟姉妹と仲良くやっているでしょう。
    昨年亡くなった父がきっと、可愛がってくれている、と思います。
    孤独とは豊かなもの。
    あなたはどう感じますか?
    皆んなで広げよう、自分を大切に思う心♡