You can be only YOU

  • 私たちにできること

    モコちゃんとの思い出を書いてから、だいぶ時間が経ってしまいました。ここに、改めてモコちゃんとの思い出を書くことで思い出したことも多く、書きながら悲しくなったり、懐かしくなったりしました。モコちゃんの最期を書いた後は胸の奥が重くなって、なにか小さな鉄のボールがあるような感じでした。いまも、それは続いています。

    過去にさかのぼると、もっと可愛がっておけば、もっと優しくしておけば、もっと一緒の時間を過ごしておけば、といまも私の中でスーパーエゴが囁きます。この声を感じるたびに、胸の重みを感じて、どうしようもない日々を送りました。

    今日、ここに書いているのは、これら動物と私の関係をあらためて1冊の本にまとめようと思い立ったからです。実はだいぶ前からアイデアとして浮かんでいたのですが、書くたびに辛い思い出や、はがゆい気持ちを何度も味わうので、なかなか決心がつかなかったのです。

    私がBBSHを卒業するにあたって書いた卒論は「ペットロスと4次元コンタクト」というタイトルでした。当時は書くためのプロセスも多く、大波小波をやっとこさ乗り越えながら、先生方や同級生のサポートを受けて、必死で書きました。3回のドラフトを書きましたが、書くたびに内容が変わりました。ペットとのコミュニケーションというテーマは同じでしたが、毎回、書きたいことが変わって自分でもどうしたものか、わかりませんでした。

    やがて、3.11の東北大震災が起こり、多くのペットと飼い主さんたちが津波にのまれてしまうという恐ろしい災害が起こりました。ペットロス、または飼い主がペットより先に亡くなることについては一切、論文には書いていませんでした。私は無意識に、一番見たくないものを避けていたのかもしれません。最終的に提出していったんOKはもらっていたものの、先生に「今回の地震を受けて、ペットロスについて書き足したい。」とお願いをし、再び内容を吟味して書き直すことにしました。「もう、OKをもらっているのに?」と言う同級生もいましたが、自分にとってはこれに触れなければ完結しないという思いでいっぱいでした。

    今回、ここにチャトランとモコちゃんとの思い出を書くことで、自分が多くの人々に知ってもらいたいことは「小さい命を大切にしよう。」ということです。「小さい命って、どこまでのことを言っているの?」という方もいるでしょう。みつばちも入るのか、ミミズはどうなんだ、と言えばキリがないかもしれません。でも、小さな命が生きられる世界なら、大きな私たち人間も生きていけるのではないでしょうか。みつばちは現在、世界中で激減していることが数年前から伝えられています。ミミズは農家の方であれば、肥えた土を作ってくれる大事な生き物でしょう。農薬や除草剤を使うのは簡単ですが、土が元の状態に戻るまでは長い年月がかかると言われています。アメリカの絵本画家であり、見事なホームガーデンで有名なターシャ・チューダーは、あの庭を作るために、土壌の改良に10年かかった、とTV番組で話していました。

    災害のときには、動物よりも人間が優先的に助けられます。でも、ぺットを飼っていた人は本当はペットと一緒に避難所へ逃げたかったのではないでしょうか。動物の受け入れがなかったために、災害後、自分の犬を抱きかかえて暖をとり、車の中で1か月非難生活を送った人がいる、とインターネットのニュースで見ました。飼い主さんも犬も、どんなに心細かったことでしょう。避難所にいないがために、食料も水も、分けてもらえないのです。最近、茨城県がペットと一緒に避難できるように地域防災計画に変更を加えたというニュースがありました。こういった変更で精神的にも心理的にも安心感を得られる人は多いと思います。

    「人の非難が完了してないのに、ペットなんて。」とおっしゃる方もいることでしょう。けれど、忘れないでください、飼い主にとってペットは「家族」なのです。自分のこども同然なのです。災害直前、いつも犬と行く散歩コースに行こうとしたら、なぜか犬が必死に山の方へと進みだし、それについていった飼い主が助かった、という記事がありました。年老いて、足も悪いその犬のリードを引っ張る強さに飼い主は驚いた、と語っていました。動物にはこういった自然の変化を予測する能力があると思います。動物のおかげで受ける恩恵は、正直なところ、計り知れないものがあるのではないでしょうか。

    中国の闇ペット市場では、犬を不自然な色に毛染めして、輸入されて体力が弱っている犬にはドーピングが当たり前、というニュースもあります。元気で美しい犬は高く売れるからです。私はここに、人間としての倫理観の違いは、文化の違いを生む、ということを感じています。良い、悪いということでなく、国民性による「お金を稼ぐことに対する罪悪感の違い」も大きいと思います。

    一人一人が変わらなければ世界は変わらないのですが、それはそんなに遠く見えない道のりでもないように感じます。日本は現在、年間57億円ほどの税金を使って犬猫の殺処分を実行しています。けれど、犬猫を捨てる人がいなくなれば、責任をもって最期の時まで家族として面倒を見る人が増えれば、この57億円は別のことに使えるのです。

    私たちにできることは、一つ一つは小さなことかもしれません。それでも、何もしなければゼロのままです。何もしないよりは、ずっとましだと思うのです。例えば、小さいことですが、私は自分が犬の散歩中に、こどもが寄ってきて触らせてほしい、と言ったら快諾することにしています。様子を見ながら、犬へのあいさつの仕方、犬が怖がらない触り方を教えて、ゆっくりと触ってもらいます。これは、私の犬がこどもを好きだから出来ることで、犬によってはこどもが苦手な犬もいるので、飼い主さんはそれを見きわめることが必要になります。

    なぜ、これを始めたかというと、ある時、小学生の男の子2人組が私に言ったのです、「ぼくは犬きらい。」「僕も!」なぜかと尋ねると、小さい時、犬に追いかけられたことがあるからだと一人が言いました。もう一人は学校帰りに通る家の犬が、いつも大声で自分に吠えるから、その前を走って通らなければならないからだ、と言いました。こういう経験から犬をきらいな大人が増えていくのは悲しいことです。小さい時から、犬の行動学を正しく教えてくれる大人が周りにいれば、こどもたちはもっと犬のことを理解できるのです。大人はそのチャンスを与えることができます。

    たくさんの人たちが、もっと動物の行動学をしって、彼らの発するメッセージを正しく理解していくことは、より良いペットとのコミュニケーションへとつながっていきます。言葉を話さない彼らのことがもっとわかれば、もっと大事にしたくなるでしょう。英国は18世紀の産業革命で素晴らしい帝国を築きましたが、一方ではひどい動物の虐待が続けられていました。でも、今は世界で一番、動物の保護が進んでいるといわれる先進国へと変化しました。日本もいずれは、そうなってほしいと願っています。

  • 見守る

    気づいても、だまって見守る。
    これも大切なことの一つだと思います。

    しばしばあるのは、近しい関係の人の感情の変化についてでしょうか。相手が「本当は○○したいのだけれど、それを言えない人」である場合、例えば、本当は辞めたいのだけれど、それを言えない人の場合としてみましょう。私はそれに気づいて、一度は「本当は辞めたいのですか?」と質問します。相手が「いえ、そんなことはないです。」と言えば、「そうですか。」で終わります。けれど、相手が本当は辞めたいと思っていることを知っています。でも、黙っています。

    いじわるではないんですよ。認めない相手を尊重している、というほうが正確です。相手の本音を聞くには、忍耐が必要となることがよくあります。すぐに自分の本音をぺらぺら話すほど、人は自分をオープンにはしないものです。時間がかかる、時間をかけることによって、相手への信頼感と勇気が上昇してきます。

    待つ、ということは大事です。知っていても黙っていることで、相手は変わるための時間を確保します。その間、心平穏に相手を見守ることができるかどうか。あなたはどうですか?

  • 許す

    許す。ああ、人生において何て難しいことの一つなんでしょう!

    許すことは怒りとセットですよね。よくクライアントさんにお話しすることの1つに「怒りというのは、許すという体験をするために人生に現れる」というのがあります。つまり、何もなければ許す、という体験ができないわけです。

    そう考えると、人生はうまくできたものだな、とも思いますが、実際に「もう、許せない!」という状況にいるときにはとてもそんな風には考えられないでしょう。そんなとき、私はクライアントさんに「存分に怒りまくって、怒りを身体で表現する」ことをまずお勧めしています。例えば、新聞紙を筒状にして、枕やクッションを思いっきり叩く。叩いて、叩いて、叩きまくる。これにはコツがあって、めったやたらに叩いていると腰を痛めるので、

    1. 足を肩幅もしくは少し広めに開いて、しっかり立つ
    2. 足裏をしっかり感じる(意識する)
    3. 腰は真上から真下に下ろす
    4. 大きな掛け声をかける(言葉は何でもよい)
    5. 枕またはクッションは誰かに押さえておいてもらい、叩くたびに相手の目を見る
    6. もし一人でやるなら、クッションの後ろに鏡を置いて自分が映るようにし、自分の目をしっかり見る

    以上6つを事前にお伝えします。剣道の「メーーーーン!」をイメージしていただくと、その姿勢がわかりやすいでしょうか。掛け声は「バカやろう!」でも「くっそーー!」でも何でも良いのです。この時に、「汚い言葉はいけない」などと思わないこと。自分を表現するために、どんな言葉が必要なのか、そしれそれを外に向かって表現するかどうかはあなた自身が決めることであって、世間の常識や非常識とされるものに左右される必要はありません。新聞紙の筒が破れたら、また新しいものを作って、気が済むまで続けます。

    これを真剣にやると、結構息があがって「ぜえ、ぜえ」するくらいになります。時々休みながら、とことん続けます。すると、ある時点で「フッ」と変わります。それは「あっ、そうか!」と突然何かがわかったり、気持ちが落ち着いて自分の中にゆったりした空間が生まれてきたり、「わーー!」と号泣したりと人によって様々です。これが待ちに待っていた癒しの瞬間です。

    わかったことをじんわりと受け取ってみたり、頭ではなく心の底から理解することを体験したり、泣きわめいてティッシュを1箱使ってみたりという一連の流れが終了に差し掛かると、やっと、「ゆるし」があなたのそばにきて寄り添ってくれます。怒りの本当の理由はこれだったのか、自分はこんな風に思っていたのか、こんなに○○だったのか、などの発見や理解に到達することで、自分をさらに深く理解したことになります。「だから、許せなかったのか」という原因が普段はわからないくらい深い場所からあなたの元へやってきてくれる、その神聖な体験は、勇気をもって自分の怒りを素直に表現した人のみに与えられる特権です。

    許しは、ここからも時間がかかるかもしれません。または、人によってすぐに許せるかもしれません。どちらであっても、あなたは以前のあなたではありません。自分の中にスッキリとしたものが生まれて、何かが新しく変わったことをきっと感じることでしょう。

  • 立ち上がる

    はじかれても、負けない。
    はじかれても、あきらめない。
    はじかれても、自分の信じる場所にとどまる。

    そんなこと、考えたこと、ありますか?

    世の中にははじく人とはじかれる人がいます。
    はじく人は、何をしたいんだろう?
    どうして、何のために、そうするんだろう?

    いじめたり、口をきかなくなったり、聞こえるように悪口を言ってみたり。
    大人の世界であることは、子どもの世界にも広がります。

    こんな話があります。

    あるとき、神様がいいました。
    「困ったのう~。こんなはずではなかったのだが。。。」
    そこに神様の弟子がやってきました。
    「どうしたんですか、神様?」
    「実は、この世を創るときに愛と平和が広がるようにと作ったのだが、どうやら、争いが始まってしまった。」
    「なぜなんでしょう?」
    「う~ん、何者かが、嫉妬の壺を開けてしまったらしい。」
    「あの、光の洞窟の一番奥に隠しておいた壺ですか?」
    「そうなんじゃよ。困ったのう。」
    「では、私が行ってみてまいります!」
    「うむ、頼んだぞ。」

    そうして弟子はこの世にやってきました。
    光の洞窟の一番奥へやってくると、やはり、壺のふたが開けられていました。
    「誰が、どうして、こんなことをしたんだろう?」
    そこへ一人の男がやってきました。
    「あ!お前が壺を開けたんだな?」
    「いや、違う。私は神様の弟子だ。誰が壺のふたを開けたのか、調べに来たんだ。」
    「そうか、お前ではないのか。まったく、困ったことになったものだ。」
    「いったい、誰がこんなことをしたのだろう?」
    「さあな。でも、平和だった村が変わってしまった。人々は争うようになって、だましあいをしたり、弱い者をいじめるようになってしまった。どうしたものだろう。」
    そこへ、一人の若者がやってきました。
    「村長、またみんなが言い争いをしています。どうしましょう?」
    「なんだって?ああ、困ったものだ。どうしたものか。」
    「私が行ってみましょう。」
    神様の弟子は2人と一緒に村へと向かいました。

    「いったい、なぜみんな争うようになったのですか?」と弟子がみんなに問いかけました。
    みんな、そっぽを向いて、何も言いません。
    「なぜ、みんな話してくれないのですか?」
    みんな、弟子のことをわざと無視します。
    「私は神様のお使いで来たのです。みんなが争っているのを見て、神様は心を痛めておられます。」
    「なんだよ、」誰かが言いました。「そんなこと知らないよ。」
    「そうだ、そうだ!神様が何だ!」みんなが口々に言いはじめました。
    神様の弟子はとても悔しかったのですが、あきらめません。

    「みんな、誰が光の洞窟にある嫉妬の壺を開けたのですか?」
    「知らないよ。探しても無駄だよ。」
    「そうだよ、誰も知らないよ。」
    神様の弟子はそれでもあきらめません。
    「みんな、私はみんなを懲らしめるために来たわけじゃないんだ。誰が、どうして、何のために壺を開けたのか、それを知りたいんだ。」
    これを聞いて、みんな黙りこくってしまいました。
    神様の弟子は思いました。「みんな、誰がふたを開けたのか、知っているに違いない。でも、みんなわざと黙っているのだな?」
    神様の弟子は言いました。「誰かをいじめたり、おとしいれたり、だましたりするために来たわけじゃないんだ。なぜ壺のふたを開けたのか、それを知りたいんだ。」

    後ろのほうから、とても貧しそうな女の子が出てきました。
    「君がやったのかい?」
    「ええ。」
    「なぜ、こんなことをしたの?嫉妬の壺は、決して開けてはいけないよ、と神様から言われていただろう?」
    「ええ。でも、神様を困らせたかったの。」
    「なぜ、神様を困らせたかったんだい?」
    「だって、神様は・・・」女の子は真剣なまなざしで弟子を見ました。「神様は、わたしのお母さんを連れて行ってしまったから。」
    洞窟にやってきた若者が弟子に言いました。「この子のお母さんは3日前に、病気をわずらって死んでしまいました。この子には、誰も家族がいないんです。」
    「そうだったのか・・・。」弟子はため息をつきました。もう、後戻りはできません。いったん、壺のふたが開けられてしまったなら、元に戻すことはできないのです。

    神様の弟子は村長に向かっていいました。
    「村長、私は帰って神様にこの女の子のことを伝えます。壺のふたをもとに戻すことはできないけれど、昔はこうだったんだよ、とみんなに伝えていくことはできます。これからは、いじめやだましがあるでしょう。けれど、仲良くすること、正直でいることだってできる、ということをみんなに伝えていきましょう。そして、平和に暮らしていけるようにみんなでつながりましょう。」
    「ああ、そうだなあ。そうだなあ。」村長は目に涙を浮かべていました。
    「あの子のことは家族のように面倒をみていくよ。どうもありがとう。」

    弟子は神様の元へ帰りました。
    「神様、戻りました。」
    「ああ、ご苦労じゃったな。」神様はにこにこしていました。
    「神様、ぜんぶご存じだったのですね。」
    「お前があきらめるかと思ったがのう、ははは。」
    「なぜ、あの子は独りぽっちになったのですか?」
    「それはのう、」神様が言いました。「あの子のおかげで、みんながまた、仲良くなるからじゃよ。それにのう、」神様は続けました。「あの子には、自分のために立ち上がる強さがあるんじゃ。今は種じゃがの。」
    「そうでしたか。」神様の弟子はよかった、という安堵の表情を浮かべました。
    「わしが造った世界じゃからのう、愛と平和が広がるようになっとるんじゃよ。。。」

    女の子は美しく、芯の強い女性に成長しました。弱い者たちには優しく、いじわるをしたり、だましたりしようとする者たちには、厳しくそれをたしなめる賢い女性になりました。やがて、女性を慕う人々が大勢集まるようになって、そこには素晴らしい村が出来たそうです。

    私たちは自分の中に「何かのために立ち上がる強さ」を秘めています。それは、思いもよらない出来事に遭遇して初めて浮上するものかもしれません。または、人生の大きな出来事がきっかけになるかもしれません。

    いずれにせよ、誰の中にも、「ころんだら、石をつかんで起き上がる」強さがあることには違いありません。

  • 磨き上げる

    ピカピカのガラス、気持ちいいですよね。
    磨き上げられた銀食器は美しい光を放って、手に持つ人を映し出します。
    原石を磨き上げると、宝石になります。

    魂を磨いていくと、どうなるのでしょうか。

    魂もピカピカになります。それは、人やどうぶつの場合、内側から外側にあふれ出てきます。
    文字通り、輝いてみえます。愛されているペットは優しく豊かな表情をしています。かまってもらえないペットは一人のとき、さみしい表情をしていたり、すぐ他のペットに怒ったりします。

    美しいエネルギーは美しいものを引き寄せます。
    類は友をよぶ、と昔の人が表現したとおりです。

    自分を磨く、というは10か国語話せるようになることではないし、(話せることは素晴らしいことだけれど、それはゴールではない、ということです。)身体がかたいのに難しいヨガのポーズをこなすことでもありません。

    自分を磨く。
    あなたにとっては、どうすることが自分磨きですか?何が、自分を磨くことになりますか?

    何かに一生懸命になること。これは自分を磨いている最中によく起こることです。
    よく、「寝食を忘れて没頭する」などという表現がありますが、本当に忘れなくてもいいのです。
    何か1つ、真剣に取り組むことは魂を美しく磨き上げてくれます。

    前から苦手だった人と、ほんの少しだけ、会話してみる。これも、魂を磨いてくれます。実際に話をしてみる、という行動を通して、あなたが相手の何を苦手だったのかというのを明確にしてくれます。最初から、ものすごく苦手な人と長話をするのではありませんよ。ほんの少し苦手だった人でいいんです。無理しないで。

    夜、日記を書いてみる。1日を振り返って、感じたこと、行動したこと、思ったことなどを書き出してみます。日記は大事な自己表現の一端で、特に自分の感情を明確に知ることができます。普段ほとんどの人は考えることが多いでしょうから、ここでは、とくに感情を書き記してみるとよいでしょう。

    出来ることから少しずつ。何もしなければゼロだけど、一つやってみると一歩前に進みます。
    大人がやると、子どももやり始めます。良いお手本になる必要はありません。ただ、自分のためにやりましょう。